気分によるものの見え方
 メモを見ると、例のバスジャック事件に関するものが結構あります。 人間の主観的な判断というものにかかわるものか?まあ、恐怖はものの見え方を変化させるという単純な話です。
 それは、凶器のサイズなんですね。はじめの報道では60センチほどの刃物っていっていました。私のメモでは長脇差か?なんて書いてありますね。60センチの刃物って大きいですよね。まさか日本刀の類を持ち出したのか?なんて思いましたからね。
 しかし、時間が経過するにつれて、刃物の長さは40センチへと変化します。どのくらいの刃物ですか?なんて聞かれて、両手でこれくらいなんて示したんですかね?動転しているときに示すのが肩幅よりちょっと広いくらいですから60センチくらいになったのでしょうね。
 そして、落ち着いてから、少し短くなり40センチと短くなっていったのでしょうね。
 しかし、状況によるものの見え方って厄介ですね。こういった、直接的な恐怖の対象ってやたらと大きく見えますから、日常的なものであっても、こういった使われ方の時には、大きさは心理的に拡大され今回の場合2倍に膨れ上がっていたわけですからね。
 そういえば、こういったことって結構あるような気がします。まあ、こんな物騒なものではないですが、思い込みという部分ですね。たとえば、40センチのスペースに入れるために40センチ以下のものを探しているとします。見た瞬間に気に入ってこれしか無いなんて思うとき、45センチのものがちょっと縮んでくれますね。まあ、何とかなるなんて、家に持って帰ってくるとちゃんと膨れ上がってくれます。
 でも、こちはある程度冷静ですが、願望によって目が曇らされているというやつですね。
 利益を追求・・・金の亡者になっているときも、リスクは見えなくなってしまいますね。しかし、頭の中ってどうなっているんでしょうね?
 多分、物の大きさ、利益の大きさなんて、まわりのものとの相対的な大きさで判断されているのかもしれないな?絶対的な大きさで判断しているのではないといえるのかもしれませんね。思考の中で、まわりのものと切り離されて意識されるとき、本来の相対的に定義される客観的な大きさから、そのもの自体が心に占める大きさに変わってしまいその大きさを示してしまうことになるってことですかね?
 なるほど、もしそうなら、人の価値判断も一定の手順で無力化して洗脳することってさほど難しくないのかもしれませんね。ビジネスの世界での応用としては、何か良い投資家を騙す、もとい、投資家の方々に魅力的に見せる方法があるのかもしれませんね。同じものに投資させるにしても、プレゼンテーションの仕方で結果が変わってきますからね。
 あれ、あれまたですね。人を傷つける物騒な話から、詐欺師まがいの話になってきましたね。でも、刃傷沙汰よりは汚いビジネスの話の方がまだましですね。 

       

随想録として