住み難い世の中
 ちょっと疲れてきた感じがしますね。きっとお金儲け関係ばかり考えているためでしょう。でも、半分は仕事ですから仕方ありませんね。何か、関係するすべての人が満足するようなプランってないものでしょうかね?こんな雲をつかむようなことを考えているから疲れるのでしょう。
 しかし、なぜでしょうね。こんな雲をつかむようなことを考え続けることができる原動力って?自分でもちょっと不思議です。多分、心の奥底できっとできるはずだ、何かあるはずだという何か確信のようなものがあるせいかもしれませんね。
 ちょうど、海王星が天王星の不思議な振る舞いから予測され、それを根拠のあやふやなデータをもとにして海王星を、海王星の動きから、さらに根拠が希薄なデータをもとに計算して冥王星を見出したりもしているのと翼にているような感じがします。
 指導原理があれば、人は倦まずに考え行動しつづけるのかもしれませんね。まあ、いずれにせよ、信念というのが大切なのでしょう。まあ、これがもてずに、すぐに諦めてしまう人が多いですからね。困ったものです。
 まず、何でもできるはずだ!ということから始めないとダメですね。人間って挫折しやすいものですからね。結局この信念というものがどれだけ深いところにあるかが問題だということですかね。
 良く見かけるのが、この新年が揺らぐと、病気になっちゃう人、これって可愛そうですね。布団の中で嵐が過ぎ去るのをじっと待つという感じですね。意外と気丈に見えるのに、何かあると寝込んでしまうなんて、かわいそうです。しかし、当の本人は、周囲からやさしい言葉をかけられると途端に元気になってしまうという不思議な病にかかっていることに気づかないから厄介ですね。
 そういえば、この信念って格好厄介なものですね。何らかの理論的裏づけがあり、何事にも揺るがないものであれば、本物の信念ですね。単なる態度を超えたその根底にあるものですね。皮相的なものが多少変化しても問題がないだけの根源的なものなのでしょう。
 しかし、この信念も、その持続した安定性は経験などによって裏付けられ確固たるものへとなっていったに違いありません。近頃は、この信念がもてない人が多いというのは、どうも、この経験の外的な要件、つまり確固たる価値観が持てないためかもしれませんね。
 だって、何年来、自分が打ち込んできた仕事が、市場ごとなくなってしまうなんて近頃ありますからね。例えば、活版印刷で字を拾っていました、写植もやりました、電算写植もやりました、でも、今では疲れてしまいましたなんてありそうですからね。
 技術の流行り廃りのレベルを超えた変化があるということですかね。まあ、こうなると、技術に対する不信感も広がってきますかね?そうなると、現実に対する不信感から、この現実に対する反発や抵抗を示してくるのでしょうね。
 そうなると、結局2つの道が残されるのですかね?1つは反体制的な行動、一つ暴れてみるとしようか!もう一つは固定観念によって構築された世界、まあ迷信の世界ですかね?
 どうも、この世は住み難くなってきたというところですかね。