危機管理に伴うリスク
 地震が起こると、気になりますね。首都機能移転というものです。先日行われた首相の交代劇の後首相代理なんかずいぶん作ったような感じです。しかし、東京を巨大地震が襲ったら?そうなったときどうなるんでしょうね?もっと極端に、戦争がおこりそうな段階で東京は巨大地震に襲われ自衛隊の最高指揮官である首相とそれを代行するものが失われてしまった。となれば・・・自衛隊には動員がかかっていたとなると、状況はシビリアンコントロールが失われる前提が成立しそうですね。国防という大義が政治システムを超えることになりそうです。
 首都機能が分散され、どこでも指揮権限を持つ人間が代行して国家を運営するという形でないといけないのかもしれませんね。
 さすがに米国だと冷戦時代の研究の賜物か?そういったあたりがしっかりしているようですね。でも、考えても半ば仕方がないことですね。状況は刻々と変化していきます。マニュアルなんか役に立たなくなるような事態だって想定されますからね。
 人間が柔軟性を失わず、常に物を考える習慣を忘れない限り、フレキシブルに対応できるということでしょうね。しかし、対応の仕方もよく考えないといけないような気がします。
 そういえば騒擾事件の想定なんかやっていますね。大規模災害演習なんかで、治安維持訓練などやりたいなんていっている人もいるようですね。地震後の騒擾事件で少数民族による略奪発言もあるし・・・う〜ん
 まあ、よいでしょう。景気が悪いとき、下層社会のご機嫌を取り結ぶ常套手段をやっているということでしょうか?しかし、危ないですね。三国人・ゲットー・治安維持訓練、そういえば三国人発言は陸上自衛隊の記念行事での発言でしたね。なんとなく、何かのパターンに似ていますね。ちょっと毎日新聞社のサイトでも覗いてみますかね。こちらに三国人問題関係の情報集積があるようですからね。
 しかし、自衛隊での発言の傾向からすると、自衛隊を条件付で賛美していますね。別段悪いことではありません。国防の根幹をなす部門ですからね。しかし、人が公式にそれを言うとき、ご機嫌取りにもなりかねないという面があります。特に三国人であるとか特定なものを想定しての発言を伴う場合です。
 どうも、単純な発言とは考えにくいですね。まさか、自衛隊幹部を抱きこみ、騒擾事件にかこつけ、治安維持活動が可能なように、緊急時には危機管理のために首相を通さず、自衛隊の一部に災害出動要請を行う権限を取り付けたとしたら?
 そして、国粋主義的な考えをもとにして、選挙民の大多数を占める、本来あまり政治的な活性を持たない労働者階層を取り込むことができたなら・・・ふ〜ん
 なんだか、日本にもクーデターを起こせる土壌があるということですかね。平和ボケした日本にはこういった妙な可能性を見つけることができるんだ!こうなると、ヒトラーでも下敷きにして、可能性の追求をしてみますかね?別段今の都知事様がそのようなことをするとは思っていませんがね。でも、なかなかスリリングな内容になりそうな気もします。
 さて、クーデター関連の歴史のお勉強でも強化してみましょう。歴史的な状況を現在の社会情勢と比較し検討することで何か新しい可能性を見出せるかもしれませんからね。
 危機管理を任せた相手が最大の危機になる可能性を秘めたものってことになりますかね?危機管理における権力委譲のリスクの研究ですかね?