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通信の歴史
 近代的な情報戦というと、どうも実戦では日本海海戦に始まるようです。以前もちょっと海軍の技術に関して調べ物をしていたときに気にしていましたが、調査はそのままほったらかしにしてあります。技術的なハードウエア面での調査は挫折していますが、ハードウエアの利用すなわち、インフォメーション・テクノロジーというものが、どのように利用されたのかはわかりますから、ちょっと書いておきましょう。そのうちまとめる機会もあるかと思います。
 さて、情報戦というとやっぱりスパイですね。諜報員によって敵地深く潜入し、情報を収集し自軍の行動を少しでも有利に働かせるために働く人間が必要ということでしょうね。どうも19世紀になるまで、この連中だけがほぼすべての情報を収集して、情報を運搬していたようです。まあ、通信というものは飛脚や駅馬など人間の手によって運用されていたわけですから仕方ありません。例外としては伝書鳩程度ですかね。
 伝書鳩の歴史は、どうも中近東始まったようです。そして記録に残る最古のものでは、紀元前3000年ごろのエジプトで漁船から漁況を知らせるのに使われていたとされています。他には、古代オリンピックでも利用されていたようです。何しろポリスの威信をかけた競技会ですから、古代世界でも注目の的で、このときも報道合戦に利用されたとされています。ところでマラトンの戦いでは使われなかったのですかね?アテネの飛脚フェイディッピデスPheidippidesとかフィリッピデスPhilippidesと伝えられる人は、援軍を依頼するためにスパルタまで230キロ以上を2日で走破したそうですからね。でも、このとき伝書鳩が使われたら・・・マラソン競技は生まれなかったか?
 ギリシャのあと、ローマ帝国も、軍の連絡用に盛んに使ったようです。まあ、これがもっとも速い通信手段だったのでしょう。それから、人間の手を介さないので良かったのか?まあ、人間と違って迷うことはあるかもしれませんが裏切ったりはしませんからね。ついには通信機器の発達に伴って、現在では競技用のものぐらいしかないようですが、第二次世界大戦では連合軍が各地のレジスタンスに1万7千羽を送り、伝書鳩で情報を収集していたのが、大量利用の最期のようです。
 さて、飛脚と伝書鳩に代わるものとなると、一応は古代世界でも存在しますね。1つは光の速度で到達するやつ紀元前13世紀ごろには、ギリシア軍が火だかのろしを上げてだか、戦勝を伝える手段として使ったりしたようです。ペルシアのキロスKyrosは紀元前550年頃に首都から放射状に塔の列を配備して、その上で怒鳴って言葉のリレーを行ったことが知られていますし、アレキサンダー大王も同様にして通信したとされています。まあ、アレキサンダー大王はさまざまな実験をしたと去れていますからありそうなことですね。そういえば、アフリカではドラムを使って通信をするそうな?
 このような、バリエーションのもっとも進んだ形として、望遠鏡の発明に伴うものがあります。腕木式の通信装置ですね。1793年シャップによってセマホールsemaphoreとよばれる通信塔がパリ・リール間の230キロメートル設置されました。この塔は約10キロメートル間隔で設置され、塔の上部に巨大な腕木が置かれ、この形の変化を望遠鏡で捉えて通信したものです。まあ、手旗信号の巨大版ですね。待てよ、このセマホールって現在も、手旗信号でローマ字を平文で送るときに使われていますね。手旗信号とこのセマホールってどっちが先なんでしょう?まあ、手旗信号は、現在も公式な通信手段として残っていますからね。まあ19世紀以前はこんな通信手段が最速のものでした。そして19世紀の以降、画期的な発明が実用に供されるようになります。電気です!
 アメリカでモースがアルフレッド・ベイルAlfred Vailの協力でモールス式電信機を発明します。1844年5月24日のワシントン・ボルティモア間で通信実験を行い、What hath God wrought(神のなせしわざ)という電文を送ります。この電信は南北戦争で北軍盛んに利用し、2万4000kmもの電信網を整備し650万通もの軍用通信がなされたそうです。どうやら、電線を利用して北軍は勝利したようですね。このようにして、有線の時代へ入っていきます。
 そして電信から半世紀後1896年マルコーニによって無線電信を発明します。無線電信が脚光を浴びるのは、アメリカ・スペイン戦争でのセルビラ提督の率いるスペイン艦隊が、アメリカ艦隊によってサンティアゴに封じ込められ撃滅された事件に発します。実は、スペイン本国から艦隊当ての訓電がスペイン→イギリス→海底ケーブル→アメリカ→キューバ→スペイン艦隊と伝えられるはずだったのですが、アメリカに差し押さえられてしまったというわけです。そして、もたもたしているうちにスペイン艦隊は海の底へと葬られたしまいました。
 このように、限られた経路しか持たない通信に対しての不安が無線通信への関心を高めます。そして、無線通信が発明されて約10年、これが実戦へと結び付けられていきます。これが日本海海戦ですね。
 日本海海戦でロシア第二太平洋艦隊とかバルチック艦隊とか呼ばれるやつを発見したのは、日本郵船の貨客船信濃丸ですね。イギリスグラスゴーに1900年生まれ6388総トン、船客定員238人、主機は三連成レシプロスチームエンジンを備え、北アメリカ航路に就航していた船です。1904年日露戦争勃発により陸軍御用船を経て仮装巡洋艦となります。無線機は1905年4月ごろに搭載されています。そして年5月27日未明、病院船アリヨールを発見、つづいて艦隊を確認し、「敵艦見ゆ」の第一報を連合艦隊に打電しています。この船結構長く使われていますね。ちょっと関係ないですが、後に近海郵船の持ち船になり、装備を変えて北洋での蟹工船となり、第二次世界大戦中は輸送船、戦後は引揚船として活躍し1951年に廃船になったようです。
 さて、日露戦争ではこのように無線によって広大な海上での船をつなぎ兵力の集中を行い、勝利を得ていますね。さて、現在の情報戦ってどうでしょうかね?相変わらず電磁波ですからね。まあ、核戦争対策でインターネット研究が開始されたようですし・・・まあ、戦争に利用されることはあまり、インターネットってなさそうですがね。
 でも、同時多発テロなどには利用価値があるかもしれませんね。まあ、南北戦争も日本海海戦も結局、最新のテクノロジーがあったからではなく、最新のテクノロジーを如何に使うかで勝利した実例だということでしょう。あるだけではダメ!如何に利用するか?そこに問題があるようですね。
 まったく、インターネットにつないでいるというだけではだめ、ホームページを作っているだけではだめ、まあそんなところでしょうかね?