士官と兵の関係
 昔風のものですが、士官と兵の違いって何でしょうね?身分の違いですけれどもね。やっぱり、資質の問題というのがあるのかもしれないと思っただけです。理想論からすれば、天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へりの類なんでしょうが、それでも、指導的な立場に立てる人間というのは限られています。
 やはり、分業ができるように、系列化が計れるように天は人を作ったのかもしれません。まあ、反啓蒙主義的な言い方ですね。
 でも、学問をする資質というやつもありますね。福沢諭吉の著書でも学問を勧めていますが、それをする能力をもたない、やる気がない人間はどう考えているのでしょうか?まあ、そういったものです。学べばそれだけのことはあることは認めつつ、怠惰な生活の中に身を置いている人に対して、天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へりというのかな?
 やっぱり、天は自ら助くるものを助く!といったほうがまともかもしれませんね。しかし、バブル全盛期以降、どうもフリーター時代ですが、あまり勉強していない人が多いような気がします。まあ、気分的にはわかりますね。別段すごい技能を持たずとも、そこそこ暮らしていけるという状況下にありますからね。
 どうも、このあたりに、欲望の原動力の喪失があるような気がします。ちょっとわかりにくいので、何か条件を設定してやりましょう。
 そうだな・・・迷宮がいいや!
 さて、広大な迷宮を作りましょう、神様があるとき気晴らしに迷宮を作ることにしました。迷宮など瞬時にできてしまいます。創った迷宮のサイズは、地球規模でした。すばらしく複雑で、この中央に置かれた、どんな賢い人間でも、とても逃れることはできないという複雑さを備えていました。
 神様は、その迷宮の中央に、すばらしい庭園を造りそこをエデンと名づけました。そして、そこに迷宮の実験台となるアダムという人間を創造されました。アダムには、迷宮を解く任務が与えられましたが、毎日、神様が創られたすばらしいエデンの園から動こうとしませんでした。神様はある日アダムに告げました、楽園の中央には邪悪なものがある、直ちにエデンを抜け出す何かを探せ!とお命じになられました。しかし、アダムは動こうとしませんでした。そこで、ある日、神はアダムの骨の一部をとり、クローニングを行い、エバを創造しました。エバにはある宿命が与えられました。それは、アダムを堕落させることでした。別段、エバには悪気はなかったのですが、アダムにある感情を芽生えさせるのに成功したということでしょう。その感情とは、退屈でした。ある日、楽園の中央の邪悪を探索に行かせることに成功します。そこには、すばらしいりんごの実った木と蛇がいました。蛇は2人にいいました。この木の実を食べると神と意識を同じくすることができます。すばらしい感情を、神と同じ感情を得ることができます。
 この言葉に、退屈の種を身ごもっているエバは応えます。さあ!食べて神と意識を共有しましょう!2人はりんごを食べ、神と同じ退屈を持ってしまいました。すべてが自由になり、生活に苦労のないすばらしい世界に退屈してこの世界から抜け出すべく、果敢に迷宮に挑むことになりました。しかし、迷宮の複雑さは、さすが神が作り出したものでした。しばらくすると、2人はエデンに戻ろうとしましたが、その道は見つけることはかないませんでした。仕方なく、迷宮の広場に座り込み、その広場の木々の果実を食べて、そのままその場所に住み着き、ついには、その広場を中心に国家を形成してしまいました。時々その国から、その国の風に会わないものたちが出奔して、同じように近くの広場に新しい国家を建設していきました。神はこれを見られて・・・これもまた良し!といわれたそうな?
 まったく下らないといえば下らない話です。迷宮を命がけで解く原動力は?それは飢えでしょう。飢えから逃れるために抜け道を探すわけです。もし、迷宮の中に豊穣があれば、その豊穣を守って生活するでしょうね。ただ、退屈と人間関係のもつれが異端者を生み出し、そこからちょっと離れたくなるというような気がしますね。
 あれ、表題とずいぶん違った話になってしまいましたね。でも、士官になれる人間って、先を見据えて行動できる人間で、兵は目先のことに関してきちんとした対応ができるものというような気がします。価値には違いはないでしょうが、兵の将来性はどうでしょう?状況が変わり正しい指揮を取る人間がいないと、全滅に向けての特攻あるのみ!という世界になるのでは?どうも、日本には先が見える、危機管理能力の高い人間はあまり存在しないのかもしれませんね。これが国民性なのかもしれません。