コンピュータと人間の関係
 コンピュータの厄介なところは、人間ほど柔軟な処理ができない、まあ、行き当たりばったりの処理法はなじまないというところでしょうか?行き当たりばったり処理が可能なのはワープロ、つまり清書用のものだからですね。それから表計算ですね。こちらは、試算するのに非常に有効です。まあ、表の清書用に電卓片手に扱っている人もいますがね。
 これに対して、データベースソフトを使っている人は、きわめて限られています。多分、行き当たりばったりでの処理が難しいからでしょうね。何しろ行き当たりばったりで項目数を増やしていくなんて考えただけでぞっとします。まあ、リレーショナルを上手に使えば、かなり柔軟な運用もできますが、あれもこれもという具合には行きません。
 コンピュータがパーソナルなワープロ・年賀状とインターネットとかの活用ぐらいしかない理由がこのあたりにあるような気がします。何しろ、個人で定型作業なんかありませんからね。というか、そういった定型作業としてコンピュータを利用するような思考構造を、多くの人が持っていないということのようです。
 まあ、先にあげたものでもワープロはあっても文章が自由に書けない人もいるし、年賀状も住所入力が面倒だから、付属の画像だけ印刷して、表は手書きといった心のこもった使い方をされている方々もありますね。
 年賀状とかは、住所型のデータベースを活用した例ですね。まあ、個人でデータベースソフトを活用するとなると、こういった住所録的なものしかありませんね。
 そういえば、データベースの教科書には必ず、入門編で住所録を取り上げていますね。その理由は?多分、扱う項目が決まっている、誰でもその項目が理解できているというあたりのような気がします。結局、手帳の住所録の項目を単純に展開しただけですから、誰にでも取っ付き易いものとして紹介されているのでしょう。
 多分、コンピュータを活用することができるということは、日常のさまざまなことを分類して定型カードの中に書き込む能力を有するものだけの特権のような気がします。
 そういえば、この間コンピュータのカスタムソフトの作成・販売の営業をやっているやつがこぼしていました。見積もりを出すように言われたけれども、見積もりすら出せないようなものを発注しようとしているって悲鳴をあげていました。どういうことかというと、これこれを自動化したいんだ!というのだそうです。自動化できるじゃないかと言ってやったら、これこれの部分はできるのだけれども、そのこれこれの部分が定型化された業務ではないというのです。実地調査をやったのだけれども、同じことをやるにしても手順が人により、その日の気分によって変動するのだ!ということです。どうも、コンピュータに乗りやすい仕事をしているのだけれども、従業員・管理職の意識改革が先ず必要だ!と騒いでいました。どうも、注文主はそういったことすら良くわかっていないような感じだということでした。
 まあ、結局、物を注文するって面倒だということです。特にカスタムメードのものってね。何しろ、試用するためには、完全なものを構築し、試用して不具合があれば、再構築ですから、見本はなしでソフトを発注ということになりかねない、したがって、開発に無限にお金がかかるということになりかねませんね。
 しかし、もっと問題は、どうも発注する側に何がしたいのか、現在紙の上での人手の作業がどれだけ定式化されているか、そういったあたりの意識がないとだめなんでしょうね。つまり、現在行われている業務のマニュアルがあり、そのマニュアルがきちんと運用されているようなところでないと、コンピュータの有効な活用はなさそうな感じがするという次第です。結局、人手できちんとこなしつづけていられる仕事しか、コンピュータってできないし、データベース構築などの能力って、稀有な能力の一つかもしれませんね。何しろ分類学の世界ですから。