近頃の政治的信念は・・・
 なんだか近頃の政治家は、復古思想に凝り固まりつつあるのでしょうか?ちょっと気になります。なぜかって?そりゃナチを思い浮かべるからです。
 ナチが広く世代の壁を越えて受け入れられた理由は?そりゃ民族主義的な側面を持っていたからでは?古いドイツと新しいドイツの癒合ですかね?そして、議会民主制反対、指導者中心の独裁制樹立、反ユダヤ主義、社会福祉の拡充、中間層と農民の保護、党の上部組織による下部の厳格な統制なんかを叫んでいたようです。
 わが国の場合はどうも、今の乱れた世の中をきちんとするためには、道徳、宗教心、伝統文化が必要であり、日本特有の道徳観、宗教観、伝統文化を大切にすべきだというのが中心のようです。
 まあ、言っていることの趣旨はちょっと違うようですが、根底には同じ物が流れているような気がします。社会秩序の安定は、多分古きよき時代を想定してのものでしょうからね。
 この古きよき時代というものが、どういった時代を想定するかによっても違いが出てきますね。できれば、高度経済成長期とかそのあたりを想定しての古きよき時代の復興にしてもらいたいものです。
 そういえば、国体などの語句も出てくるような?国体とは?これも時代によって変化している言葉ですね。こちらの方は、憲法学や国家学などで主権が何処に存するかによって国家形態を分類するときの使う言葉ですね。
 そうなると、現在、わが国で国体護持と叫ぶとき、形式的立憲君主主義?的な民主主義を護持し、主権者は国民に、天皇を国民統合のシンボルとすることを護持するということなんですかね?
 まさか、万世一系の天皇、これを統治するというような、はるか昔の国体を担ぎ出すようだとちょっと、否、かなり問題ですね。
 しかし、こういった生き神様を担ぎ出すような政治家は果たして大丈夫なのでしょうか?ちょっと気になりますね。政治家に求心力がないのなら、宗教的な宗主を担ぎ出すとなるとね。それこそ、人間として自己の政治能力の全てをかけ、国家の礎であるような政治家になることを夢見ないといけないのでは?なんて思いますね。
 まさか、例によって他力本願的なものへと政治が転換しているということですかね?かつて、わが国でも、政治の無責任な他力本願が、軍部の台頭を招いたのでは?なんだかちょっと気になります。
 だって、軍部の台頭だって、政治家の無責任が軍部大臣現役武官制の導入などで責任の一部を、軍部などに代行させていますからね。
 そういえば、これも権力のアウトソーシングですかね?近頃の傾向として、一貫して責任を負うという体制崩れ、その代わり、大勢で分業すれば、責任の所在が明確になる?いや、不明瞭になり追求が困難になる。運悪く発覚した場合、その細胞だけを切り捨てれば、本体は安泰である?とか言うような思想が蔓延しているのかもしれません。
 政治家は、社会秩序を実践するものでは?現在の国体を守りそして、主権者の代表として、主権者の意思を実践するものでは?まさか、主権者を乗り換えるようなことがあるのだと、私は・・・逃げ出したくなりますね。