インターネットは誰のため?
 自分のためにすることはどうも自分のためにはならないようです。まあ、自分だけのためにといった方が正しいでしょう。なんだか大げさですが、真理かもしれませんね。
 何のことはないですね。人が動く原動力になるのは、自分のためにもなるけれども、それによって喜ぶ人間がいるとかそういったものではないでしょうか?まあ、自分で楽しめるというのも前提ではありますがね。
 さて、どうもインターネットの世界での趣味ってこれに尽きるのでは?そんな気がします。何しろ読者と著者の間には、ちょっと飲んでいかないか?なんていう関係は生まれにくいですからね。ここで書いていることが、米国から反応があたり、近くだといっても帯広だとかそういったことだってあります。ある意味空間を越える能力を付与されていると考えても間違いないような気がしますね。
 さて、確かにインターネットは空間を越えられるような気がします。本は知識を時代を超えて伝えてくれます。さすがに空間的な差を一挙に縮めるというところまでは至りませんが、時代を超える力を持っていました。インターネットは?空間は越えることが出来ますが、このページは時間を超えて存続させることが・・・ちょっと無理ですね。書物の良いところは、著者が生きた証になることですね。
 インターネット上の情報は、残念ながら空間は越えても、時間はね、そこまで維持できません。何しろ、あっという間に消滅するサイトだってありますからね。インターネット上のページは流れる川に浮かんだあわのようなものですから。あるときたくさんのページがくっついたり、離れたりして消滅していきます。まあ、現実の世界も大差ないというものの、バーチャルな世界ですからいつ消滅してしまうかわかりませんね。
 まったく、多くの人が夢を見て、その夢で出来上がっている世界のような感じですね。もっと面白い、興味深い、そしてさまざまな利益を生み出すメディアが生まれれば、それに引かれて、インターネットに夢を見る人がいなくなれば、このバーチャルな世界も崩壊するという感じですね。幸い、未だにそのような暗黒がやってくる気配はありませんがね。
 でも、いつの日か人が、この空間に夢を見なくなったとき、この空間は消滅するのでしょうね。あれ?どこかで見たような映画のような?そう、おとぎ話の世界のような感じですね。ネバーエンディングストーリーの世界のような感じです。
 そういえば、ネット関連の株を買った人たちは、なんだか夢破れている人もいるような?もちろん多くは値を戻しましたが、音を上げそうなところもありますね。夢の果てにある現実、現実は厳しいんですね!
 株だって本来、人の夢に共感して、投資し、その投資により夢を現実にし、夢の発案者と共に投資家も夢の一部を共有するというものではないのでしょうかね?キャピタルゲインだけを望む投資家ではダメですね。ましてや、株式公開での一時の資金調達に酔うようではね。やはり実業がある程度は伴わないと、夢見つづけることは難しいですね。小さな夢でも1つずつ実現し、新しい夢を見るというのが堅実な方法なんですかね?さすがに天国と地獄を行き来するような生活は刺激があってよいかもしれませんが、ちょっと疲れますからね!お金の良い夢と悪い夢を見るのも良くありませんね!