危機管理能力と、それを生み出すもの
 どうも、忙しいとダメですね。忙しいと視野が狭くなります。目先のことにしか気づかなくなりますね。昨日なんか。それでうなっていたのですからね。でも、普段からものを考える習慣があるのでパニックにならないのでまあ・・・何とかなりますね。
 時には、下らないことでパニックに陥っている人も見かけますが、何らかのソリューションを考え付けば何とかなるのだという、自信というか?図々しさを持っているとかで違いが出るようです。まあ、危機意識が低いどころか危機意識をもたない極楽蜻蛉だっていますからね。まあ、この両極端はあまり問題にしなくても良いでしょう。
 さて、危機管理能力ってどうやったら身に付けられますかね?という問題がありますね。私なりのいいかげんな解釈によると、前提として、教科書的な解決が可能ということでしょう。これが、最低限のものですね。つまり、教科書をしっかり読み、それを記憶し、そのように行動できることですね。悪く言えばマニュアル人間ですかね。まあ、お茶のお手前とか、定められた手順を遂行することで、1つの形をなす人ですね。これが最低限!
 でも、これだけの人間は、予習が必要で、予習していない範囲だと、あたふたして、ある種のパニックに陥ってしまう人たちですね。ですから、まったくこれだけだと、パターンから外れると・・・もうダメ!どうしてあの人が、こうなっちゃうの?という取り乱し方になってしまいます。まあ、取り乱さない代わりに、突如豹変して、事態の起こった原因追求をはじめ、怒鳴りまくるとか、そういった管理能力を発達させている人も見受けられますね。
 結局、教科書的な事例を踏まえて、独自の解釈に基づいて行動できる人間というのが、予想できなかったことに出会っても、ちゃんと解決策を見出す人なんでしょうね。
 しかし、解決策を導き出すのに、長時間かかる人だと、ちょっと問題ですね。あることがもう済んでしまった後に、こうすればもっと簡単に終わらせられます!なんて言っても何の役にも立ちませんからね。まあ、こういったあたりですね。
 基本を踏まえている上に、独自の判断によって、救済への道を歩みだすことができる人間というのが、危機管理能力に秀でた人間なんでしょうね。
 しかし、こういった能力を持っていて、自分ひとりだけで逃げ出すと、それは・・・卑怯者!と呼ばれるのでしょうね。なんだか、先見の明のない、凡人の遠吠えのようなものになりかねませんね。
 しかし、知識と見聞を広げるための弛まぬ努力というものがそれを導き出すような気がします。一般に、気が弱いとか、流され易い人ってあまり、見聞を広げるために何かの行動をとることが少ないような漢字がしますね。
 まあ、いったい何が良いのやら?私なんかにはちょっとテーマが大きすぎます。
 少なくともいえることは、危機管理能力が高い人間ってあまりいないということですね。普通は、危機なんかに出くわすことなんてありませんからね。危機なんか、遊園地の中での話のような漠然とした抽象的なものに成り下がってしまったのでしょうかね?危険の感じさせるが、ちっとも危険でないような、そんなものですね。まあそれでも良いですね。そのうち、何とか、なるだろう!なんて気分にもなりますね。