経済活動と価値概念
 どうも近頃経済ばっかりですね。でも、経済学って非常に面白いものですね。そして、経済現象を別の現象に置き換えてみるとなかなか面白いということにも気づきましたね。
 どうも経済学って非常に抽象的なものを扱っているような気がします。たとえば富というものは何でしょうね?状況が変化すると富の概念が変化することだってあります。どうもこの富という概念も理解しにくいですね。そして、市場も、非常に抽象的な概念ですね。
 たとえば、ここにお札が山ほどあるとします。そうですね10億円ほど、でも本当の価値ですかね?気になります。お金はものではない、価値そのものであるという言い方をしますが、ただ置いてあるお金って、死んだお金ですね。使ってこそお金ですね。でも、そのお金はそこにあることで将来の安心を得ることができます。この意味では死んでいるようで生きたお金ですね。でも死んでいるようなお金ですね。
 まあ、富というものはそういった性格を持つようです。ですから、普通の説明では富というものを、生活していく上で必要なものとか欲望を満たすもの、そして満足を与えるものが価値あるものとして君臨するわけですね。ですから、目の前の10億円というものは満足を与えてくれそうです。
 さて、こういった一般に価値あるものといわれるものは絶対的なものでしょうか?果たして絶対的な価値なんてあるのでしょうか?どうも未だに、絶対的な価値なんていうものにはお目にかかった事はないですね。すべてが相対的ですね。比較を許さないものなんてありませんね。
 すべての人にとって価値あるものってありますか?多分ないでしょう。価値観の差がそれを生みます。何?お金だって?10億円といっしょに金庫の中に閉じ込められたら、ちょっと厳しいのでは?氷の世界に10億円の札束といっしょに放り出されたら?マッチがあったら、10億円は多分燃やされてしまうのでしょうね。この場合には十分な価値がありますね。でも10億円って1万円札を1m積み上げただけですね。わが国の債務に比べれば・・・ゴミみたいですね。比較するものが変わると大きさも違ってきます。金は?かつては金本位制なんてありましたね。金も10kgぐらい持たされて、船から海に突き落とされると・・・いらないですね。沈んでしまうかもしれません。
 名誉のしるしは?君は1等賞のメダルを上げよう!良く頑張ったから・・・ちょっとうれしいですね。でも、実際は3等賞だったら?さてこのとき本来の3等賞と1等賞のメダルとでは?どちらが価値あるものですか?
 まあ、ちょっと異論があるでしょうがね。私は自分が勝ち取ったものの方が良いですね。なるほど、ちょっと面白い、株ってこういった側面があるんですね。株式投資、いや投機でわずかな利益であっても、それは自ら勝ち取った勝利ですからね。この勝利は何物にも代え難い勝利者だけが感じとれる真の価値なんですかね。
 どうも、経済というのは一種の闘争であり、血を見ることはあまりないが、損得という概念で自己の行動の中に真の価値を見出す行動なんですかね?これが、経済活動で投機という行動に走る原動力なのでしょうか?まあ、マネーゲームなんですね。
 そうすると、投機は経済的価値よりも、精神的価値の比重が大きいのでしょうかね?一応、経済的価値の追求というものが表の顔ですがね。なんと、株をやっているのは、競馬新聞とかそういったもの研究して賭けを行うのとあまり大きな違いはないということですかね。でも競馬新聞を広げている人と、日本経済新聞の証券欄を広げている人を傍から見ると、証券市場の研究を行っているほうが良い印象を受けますからね。なるほど、仕事場で堂々とできる賭博が株式に対する投機なんですね。キャピタルゲインというものを得るのが目的なら、それは投資ではなく投機ですからね。
 そろそろ、日本の株式市場も投機の場から投資の場への転換が必要なのでは?これが、どうもニューヨークで反発し、東証で下落が続いた理由ではないかという気がします。