コンピュータの陳腐化
 夢が多くて大変です。まあたくさんの夢をみて、1つ1つ実現していければよいでしょうね。しかし、時間が問題です。スポンサーでもつく事業ができれば良いのですがね、なかなかそうはいきません。まあ、仕事をしながらだって時間なんて作ろうと思えば作れますからね。こうなると毎日コンピュータを持って歩いてやらないといけませんね。電車の中で往復2時間はできるでしょう。テキスト編集さえできれば問題ないですからその線でやればよいですね。また久しぶりでIBMのウルトラマンPCことPC110が活躍することになりますね。
 今時Windows3.1ですね。でもどちらにしろテキストしか扱いませんから問題はないでしょう。多少は図版の作成はしないといけませんが図版のほうは手書きに限りますからね。所詮コンピュータは目的を実現させるための手段にしか過ぎませんからね。過信するつもりはありません。だって、自分の能力を映し出す鏡のようなものですからね。
 しかし、コンピュータって本当に自分の能力以上のものを作り出してはくれませんね。所産道具の域を越えるようなことはないのでしょうか?
 まったく、私が紙の上でできることをちょっと早く仕上がるように手助けしてくれるぐらいのような気がします。まあ、それで十分なのかもしれませんね。だって、それ以上のことをやってくれたって、それは自分の物ではないですからね。企画し、実施しと言った連鎖が成立してこそ本物のような気がします。
 まあ、人間が行うから重要なんでしょうね。まあ、自分で考えそして自分で作り出すことが重要ですね。しかし、今の世の中既製品と雛型が中心になっているような?雛型を持たずに、いや雛型があっても自分のオリジナルって重要ですね。どこから見てもオリジナルというやつがね。
 美学・美意識というものですが、何とかそういったものにたどり着くべく努力したいものです。
 さて、PC110も過去のコンピュータですが大きさが良いですね。それからコンパクトフラッシュをアダプターなしで挿入できるし。Windows3.1なら40Mクラスのやつにちゃんと納まってくれますから非常に安上がりに動いてくれますね。一応ネットワークボードとかCD-ROMとかつながっていますし、Windows3.1時代からコンピュータを使っていますからソフトもとこ欠きません、結局古いコンピュータを使う事って古いソフトをどれだけ持っているかということですかね。
 しかし、古いソフトって手に入れにくいですね。結局古いコンピュータって、その時代にしっかりとソフトを入手していないと動かなくなるという必然があるわけですね。しかし、どこかで古いソフトが手に入ると良いと思います。そうすればリサイクルだって可能ですからね。たとえば一太郎のVer3あたりだと286などのCPUでも非常に高速に動くはずですが・・・見かけませんね。そういったあたりが問題ですね。
 別段故障しているとかいうわけでないコンピュータがソフトの欠如で動かないなんて間違っていますよね。でも、当時の定価で販売されるならダメですね。
 そういえば、OSに限っていえばアップルはすごいですね、古いOSをネット上で公開していますからね。あれこそ究極のリサイクのような気がします。だってそれぞれのマシンは、当時の最速なんですからね。そういったとき、最速である条件を作ってやれば・・・そこそこ動くんですね!でも、その条件をそろえるためには・・・当時そのマシンを所有して、そのソフトを購入していることが必要ですからね!妙なものです。