犬と人間の権力闘争?
 人権って何でしょうね?帰ってきてTVをつけると犬の訓練に関する番組をやっていました。これで気にかかったことですね。犬にはどのような権利があるのか、愛犬とは?そして、犬の躾とは?人間と犬の関係ですね。ちょっと広げると、親と子の関係?ですかね。
 さて、先ずは非行少年という概念に関して考えてみると、非行と少年というl組み合わせはちょっとナンセンスのような気がします。正しい行い、というものが大人の美徳であるとすれば、大人には非行がありますが、少年にはまだ非行というものを押し付けるのは問題のような気がします。非行を行わないようにするのが大人の務めと考えることができます。
 少年法の規定では、責任能力が存在しない、随って非行を非行と認識せずに行った事に関しては責任を負えないということなんでしょう。そうなると、非行というものは責任の負えるという前提によって成り立つものだということであるといえると思います。要は監督責任の問題ですね。
 しかし、偏った自由権によれば、ちょっと違った価値判断を要求するようです。まあ、これは良いでしょう。価値観は価値観ですから。
 そういえば、なぜか中学生くらいで5000万円も巻き上げられてしまう変な事件もありましたね。ちょっと不思議?なぜ50万円ではないのでしょう?残念なことに、私にはこんなにたくさんのお金のなる木を持っていませんから、殺されたって・・・ないですね。あることが不幸の始まりなのか?よくわかりません。
 まあ、これは置いておくことにしましょう。犬と人間やはりちょっと違いますね。もし、犬が人間が甘やかすことで、人に噛み付くのであれば、それが犬の責任か?飼い主の人間の責任か?犬の責任能力を認めるのであれば、犬の責任ですね。少年が非行を行うにことについて、その非行の責任を少年に問うのと同じことですね。
 しかし、少年には責任能力は存在しない。従って無罪!ですね。現在の少年法は第二次世界大戦後、アメリカの影響で1948年(昭和23)全面的に改正されています。基本にあるのは少年の健全な育成を目的としていて、少年の保護事件とか、少年の福祉を害する成人の刑事事件や少年の刑事事件の3つに分けて規定しているようです。まあ、保護主義が前面に打ち出されたということでしょう。そして、感情論を排し科学的な根拠に基づき、人権を保障する立場になったということですかね。大きな違いは、間違いに対して殴られることなく、温情と慈しみによって更生の道を歩ませることになったということですかね?
 確かに、戦後の貧困による犯罪が多発した中で、貧困こそが犯罪の根源であるという立場からは間違いではなかったと思いますがね。・・・でも5000万円の・・・やめておきましょう・
 さて、どうも犯罪の傾向が変化したということですかね?犬だと、どうなっているのでしょうか?ご主人様より先に飯を食い、家の中で最も居心地の良い場所を占め。ご主人より先を歩き・・・。これって、群れのリーダーの地位ですね。私が習ったことによればです。
 ご主人より先に飯を食わせるな。齧った後でそれを与えるのは可、ご主人の座る場所を占有したら投げ飛ばせ、決してその場所を譲るな、ご主人より先を歩かせるな、歩こうものなら鼻先を叩け!
 確かに、二・三日でよく言うことを聞く犬になりますね。これは虐待なのか?躾なのか?価値観の問題ですか?・・・よくわかりません。でも、正しい訓練方法でもあります。犬と人間の権力闘争ともいえますが・・・犬には負けてはいられませんでしたね。まあ、異論はあるかもしれませんがね。結局は権力闘争ですかね?