トロイアの遺跡について
 トロヤ戦争なんかも出てきましたからトロイ・トロヤ・トロイアとか言われるところでも書きましょう。
 地名だとなんとなくトロイアを使いたくなりますね。この辺が、私の結構いいかげんな性格ですね。この地はギリシャ神話で有名ですが、ちょっと前、シュリーマンが発掘する以前はただの物語の地名と思われていたようです。
 場所は小アジアの北西端,ダーダネルス海峡に近いヒッサルリクの丘です。この小丘は前3000年ころからローマ時代にいたる住居層が積み重なっていました。ローマ人もそうですが、古い建物の上に廃材や土を盛ってその上に新しい建物を建てるということを繰り返しているわけです。
 そして、都市の繁栄した期間が長期になればなるほど都市は高くなっていくのでしょう。このトロイアの遺跡はシュリーマンが発掘する頃には東西約100m,南北約115m,高さ36mほどの遺跡の丘となっていました。
 しかし、古典文学を史実と信じ発掘するなんて結構無謀ですね。まあ、それに要した努力たるや・・・ちょっと寄り道してシュリーマンについて語りましょう。
 シュリーマンはドイツの考古学者ですね、でも、今風の本職の考古学者というには?です。まあ40の手習いですかね。
 さて、シュリーマンの生まれ故郷はドイツ北部のバルト海を望むメクレンブルク州です。そこで、牧師の子として生まれました。困ったことに?先見があったか?幼いときからホメロスの叙事詩にあるトロヤが実在したことを信じ、この遺跡を発見することを夢見たんですからね。
 しかし、すごいのは、この夢を現実のものにするために、若いうちは資金づくりに励み、ロシアに移住しインド藍を扱う貿易商として成功し巨額の富を得ます。40歳代前半には事業をやめ、1860年代の半ばに世界漫遊の旅をしています。この旅行で中国や日本なども訪問しています。
 そして、この旅行の後、念願のギリシア古代史の本格的な研究に入り、1868年ギリシア、小アジアを訪れます。、この翌年、上手いことに、アテネ生まれでホメロスの詩編に精通するソフィアと結婚しています。まあ、同じ趣味を持たないとね!そして1870年に小アジア北西部のトロアスTroas地方のヒッサリクHissarlikの丘に目をつけます。本格的な第一次の発掘は1971年〜72年にわたって行われます。
 さて、現在ではトロイアの遺跡は9層あることが知られています。最下層の第1層は第1市などとも呼ばれます。ここでは轆轤を使わない土器が出土しているようです。しかし銅器使い、城壁も築き,城内には建物が集まり領主の館を構成していたようです。玄関の広間のような前室と炉を持つ主室からできている長方形のメガロンと呼ばれる家々が軒を連ねていたようです。
 その上には第二層の第2市があります。この都市は紀元前2500年〜2200年ごろ栄えた町です。ここからプリアモスの財宝として知られるものが出土しました。プリアモスってトロヤ戦争敗戦のときの国王ですね。この頃がトロイアの全盛期のようです。シュリーマンがこの財宝を見て、この層をトロヤ戦争の時代と考えたようです。しかし、現在はこの層はトロヤ戦争の時代の者ではないと考えています。この時代の遺構はミノス文明のもののようですね。
 さて、この第2市の滅亡後の第3〜5市は古い城郭の上に小さな家を建てるだけの地になってしまったようです。そして、トロイアが再興するのは第6市の時代、つまり紀元前1800〜前1300年のようです。この時期はすでにミュケナイ文化の下にこの地域は入っていたようです。しかし、この都市は地震により壊滅します。その後に起こった第7層、第7市Aがどうもトロヤ戦争舞台になるようです。この非常に短命だった市の上に第7市Bが再建されますが規模はたいしたことはなかったようです。その後の第8・9市はギリシャ・ローマの都市となり、その後忘れ去られていきます。
 シュリーマンの発掘はめちゃくちゃに近かったようで、後年非難されていますが、誰も信じないことをやり遂げたことはすばらしいものです。まともな教育を受けていたら、多分まじめに発掘なんかで見ませんからね!しかし、ギリシャとトロイアの関係は?よくわかりませんね??何であんなに叙事詩にかかれたんでしょうね?不思議です。ついでにトロヤ戦争でも書きますかね。
探索の資料
 Archaeology MagazineBehind the Mask of Agamemnon
 S. Kagan Agun Personal Home PageTroy 4000 Year old Ancient City
 Perseus Project Home PagePerseus Site Troy