ローマの歴史(1)
 ローマの歴史でもちょっと調べてやりましょう。古代ローマあたりから少しずつですね。
 ローマの発祥の地って、テベレ川左岸にある七つの丘を中心につくられた旧市街、ここが本拠地ですね。
 さてもう少し詳しく書けば、テベレ川は南に流れていますから、この川の東岸にあるパラティヌス、カピトリヌス、アウェンティヌス、カエリウス、エスクイリヌス、ウィミナリス、クイリナリス7つの丘に囲まれた台地に発生した都市ですね。アトランティスの7つの都市と関係があるのでしょうか?
 なお、現在のローマ市の七丘は、カンピドリオ(古代のカピトリヌス)、パラティノ(パラティヌス)、クイリナレ(クイリナリス)、ピンチョ、アベンティノ(アウェンティヌス)、ジャニコロ、オッピオ(オッピウス)と変遷があるようですね。都市も動くので厄介です。あとで地図でも探しましょう。
 ちなみにバチカンはテベレ川の右岸西岸に位置しますから、川向こうなんですね。

 さて、歴史といきましょう!
 ローマ建国はロムルスに始まるようです。ローマ初代の王ですね。ロムルスの都市でローマなんだそうです。このロムルスはアイネイアスの子孫だそうです。
 さて、このアイネイアス、ラテン語ではアエネアスAeneasと呼ばれる人物ですが、水の泡から生まれた愛と美と豊穣の女神アフロディテとアンキセスの間に生まれた子供です。ローマの初代の王様はこんな神様をご先祖様に持つわけです。アイネイアスの父親のアンキセスもご先祖にゼウスの子ダルダノスを持ちますから非常な名家なのでしょう?そして、神々の子孫のアイネイアスはヘクトルと並び賞せられるトロヤ軍の英雄ですね!まあ、神様にちょくちょく助けられていますけれどもね。
 さて、このアイネイアスは、ホメロスは否定していますが、トロヤ滅亡後、一族とともにトラキアやマケドニアの沿岸を航行してシチリア島に渡り、やがてイタリアに到着してローマを建設したとも伝えられています。
 ウェルギリウスのアエネイスによればアイネイアスが神の命令でトロヤを脱出し、地中海を放浪しラティウムでの戦いを経て、トゥルヌスを倒しローマの前身都市ラウィニウムを築いたとされています。

 さて、ローマの初代の王ロムルスはアルバ・ロンガの王、ヌミトル(アイネイアス王家16代目)の娘レア・シルウィアと、軍神マルスとの間に生まれた双子の兄ですね。弟は、レムスです。
 この二人の出生にはちょっと曰くがありますね。ちょっとした王権争いの末に生まれたことになっています。
 それは、ヌミトルは弟のアムリウスによって王位を奪われることに始まります。アムリウスは自分の地位保全のため兄の娘レアに子供ができないようにウェスタの巫女にしますが、レアは水を汲みにきた聖なる森でマルスに犯されて、ロムルスとレムスの双子を産みます。
 これを知ったアムリウスは怒り、レアを殺し、その子ロムルスとレムすをティベル河岸に捨てますが、2人は雌の狼(軍神マルスのお使いですね)に乳を与えられ、やがて牧人のファウストゥルスに拾われて養われます。
 やがてレムスがアムリウスの家畜を奪って(王様も泥棒をするんですね!)捕らえられ、そのときファウストゥルスから自分の素性を聞いたロムルスは、アルバに直行してアムリウスを討ち、父ヌミトルを王に復帰させるという話です。
 さて、この双子の兄弟も仲良くしてたかと、そうでもないようです。新都市ローマ建設計画で決定的な対立をしています。
 ロムルスとレムスはローマの地に新都市建設を計画するのですが、用地の選定にあたって争い、当時流行の神意を計るために行われた鳥占いによる審判に用地の選定をゆだねます。
 ロムルスはパラティヌスの丘を、レムスはアウェンティヌスの丘を支持しましたが、鳥占いでレムスが六羽、ロムルスが12羽の鷹を見たことから、ロムルスが神によって是認されたとし、未来の都市の境界を2頭の牛に引かせる鋤で堀(塀)をめぐらして定めました。これが古代のローマの市域となる部分です。こんな方法で市域を定めたことでエトルリアの影響が強いなんていわれるのでしょう。
 さて、レムスはこの決定に堀(塀)を飛び越えることで不服を唱えたため、ロムルス(又は部下のケレル)に殺されてしまいます。こんな風に、現在のローマの基礎が兄弟喧嘩の末置かれたようです。そうそう、この一番初めの都市はパラティヌス、ウェリア、ファグタル、スブラ、ケルマルス、オッピウス、キスピウスの七区がそうなんだそうです。

 さて、ローマを建国しましたが、住人が少なかったので、避難所と称してカピトリヌスの丘に、住むところを失った亡命者・逃亡奴隷・お尋ね者を受け入れる施設を設けたようです。しかし、男ばっかりが集まってきたので、一計を案じたロムルスは隣国のサビニ人を8月21日のコンススの祭りに招き、彼らの多くの娘を略奪します。怒ったサビニ人はティトゥス・タティウス王を先頭にローマに攻め込みますが、ローマ神界の主神ユピテルの助けを受けたローマの前に敗北します。しかしロムルスは、タティウス王にもローマの支配権を与えて共同で統治し、タティウスの死後は1人でローマとサビニの両民族を33年間54歳まで支配したとされています。54歳で死んだかだって?これがちょっと不思議なんですが、7月のノーナイの日に閲兵中、雷雨の中消え去ってしまったということになっています。きっと、無茶ばっかりやっていたので貴族連中に暗殺されちゃったのかもしれないとも言われています。
 さて、稿をかえて、まともな歴史にしましょうね。