サンタの聖堂が発見されたって!
 紀元6世紀ごろのサンタクロースこと聖ニコラスにささげられた聖堂が確認されたのだそうです。なかなか興味深いですね。
 ところでこの、聖人のニコラスさんはどんな人物なんでしょう?多分、聖人様としてはもっとも有名?な人ですかね。このサンタ様は、ギリシア正教会の聖人ですね。
 どうも、キリスト教はわかりにくいですね。ローマにイギリスに東方教会そして、東方教会の中のギリシア正教会にロシア正教会同じキリスト教でも立場が少しずつ違っています。何しろ随分昔に分裂してしまっているようですからね。
 どうあれ、サンタ様はすばらしいお方のようです。
 さて、この聖ニコラスって、4世紀の初め頃、多分270年から310年に生き、小アジアにあったリュキアの首都ミュラの司教などを歴任した、寛大な人物であったそうです。そのため、子供達の守護聖人としてあがめられているというわけです。
 さて、この聖ニコラスは12月6日になくなられたそうです。そして、彼の命日を記念してこの日を祝日としていましたが、西欧諸国では16世紀の宗教改革で、この祝日は廃止されます。しかし、オランダでは、この古いキリスト教の伝統は生き残り、今でも12月6日にサンタクロースの来訪を子供達は待っているのだそうです。
 こんなことが、Saint Nicholasってところにかかれていますね。ちょっと、こちらの資料で補足しましたがね。
 なんと、クリスマスって、昔は12月6日だったんですね。
 そして、現在は、このクリスマスの風習が、年末の冬至を過ぎた、太陽が復活する日に移されているということなんでしょう。
 さて、この聖ニコラスなんでこんなに有名に・・・? それは、1087年に聖ニコラスの聖遺物が南イタリアのバーリにもたらされたのがきっかけのようです。何しろ、寛大な聖人様ですから、様々な仕事の守護聖人になられ大活躍ですからね。人気があるわけです。どんなものの守護聖人かといえば、船乗り、パン屋、薬局、商人、法律家、子供、学生、不当に捕らえられた者、旅行者、水などですから多彩ですね。しかしどんな関連があるのでしょうか?気になりますね。
 私が知る限りでは、ヨーロッパの質屋さんの看板ですね。William Hogarth (1697 - 1764)の作品の中にジン横丁として知られる作品があって、右のやつですね。この中に質屋さんの看板があるんです。この看板の金色に輝く3つの玉というのが、実は、貧乏で入水自殺でもして死のうかって、語る3人娘を救うため、聖ニコラスが夜中にこっそり金袋を娘たちの家の窓から三晩投げ入れ、それで娘達が救われたという由来があるってくらいですね。質屋を含めた金に関係のある人たちの守護聖人であることはわかりますね。
 まあ、こんな具合に、様々な場面で登場していたようです。
 さて、クリスマスって?あれってキリストの誕生日のはずですね。ちょっとややっこしい話です。
 何しろ、福音書には、キリストの誕生日の記述がありませんしね。321年に日曜日がンスタンティヌス大帝により制定され、ニカイアの公会議で12月25日がキリストの誕生日として制度化されたのだそうです。
 ここでちょっと気にかかるのが、この日がミトラ教の太陽の復活の日ですからね。この太陽の復活の日にキリストの誕生日を置くなんって、土俗的じゃありませんか。
 そして、ミトラなんってでてくると、私の頭は余計なものを思い出しますね。それはミトラと対になる神、バルナですね。ミトラは光明の神、梵天です。バルナは阿修羅ですかね。そして、水との関わりの深い神様だったと記憶しています。そういえば、現在の青函航路にこの名の船がありましたね。
 まあ、このバルナとミトラの考察の詳細は良いとして、冬至の頃の太陽の復活を祈る祭りに色々なものがくっついて今のクリスマスが成り立っているのでしょうね。

 さて、報道によると、「トルコの地中海側にある無人島ゲミレル島の東ローマ帝国時代のキリスト教聖堂跡が、サンタクロースのモデルとされる「聖ニコラオス」にささげられた最古の聖堂である可能性が高まった。」ということです。発掘作業が進むと、どんなことがわかってくるのでしょうか?ちょっと気になりますね。聖ニコラスの実像に迫れるかも知れませんからね。しかし、なんだか非常にタイムリーで、ちょっと気になりますね。何しろ発表が8日ですからね。「聖堂の床を飾ったモザイクに、サンタの聖堂であることを示す銘文を見つけた」のが6日だったら?そうしたら、聖ニコラス様のお導きですか?
 まあ、導くとなると、船乗り達の守護聖人ですからお手の物でしょう。
 聖ニコラスと神の栄光をたたえて、終わりにしましょう。