いま話題の徳政令
 また、私徳政が話題に上り問題化しそうな様相です。何のことはないですね。そごうの借金踏み倒しと、踏み倒された借金の債権者である日本長期信用銀行、今の新生銀行に代わって預金保険機構が踏み倒されたということのようです。簡単に言えば、そごうの1976億円の借金の証文をを預金保険機構が新生銀行から買い取り、預金保険機構が借金の証文そのうち970億円を焼いてくれたということのようです。
 まあ、一応、多額の貸し倒れ引当金を積んであるそうですが、問題ないとの見解もありますが、小さな企業に対してはこうはなりませんからね。
 しかし、なぜそごうが救われないといけないのでしょうかね?これって不思議です。そういえば、日本興業銀行は1892億7800万円の債権放棄とか?
 まあ結局、その論理は金融当局は、預保機構が債権放棄を拒否すると、銀行団がほぼ合意済みの再建計画が頓挫し、混乱を招く恐れがあると判断があるようですが。これをもう少し平易な文章にすると。そごうに金を貸した連中は預金機構が借金の一部を棒引きにしてくれないと、そごうがつぶれて、借金の証文はただの紙切れになってしまう。だから、借金の証文を一部焼いてくれ!損はさせないからと泣きついたということなんでしょう。
 ああ、今日は7月1日金融監督庁が省庁再編のトップを切ったのでは?ちょっとホームページをのぞいてみると金融監督庁ホームページがありますね。今日から金融庁と名前が代わるのでは?まあ7月3日からなんですかね?ちょっと気になります。中央省等庁改革に資料があります。
 さて、ちょっと金融再生委員会の方ものぞいてみましょう。
 6月27日の記者会見で大臣が、この件に関してのスタンスを述べていますね。「資本注入を受けた金融機関が債権放棄を決断されるということは、基本的には受けておられるところの経営判断だろうと思います。その上で資本注入して金融機関を健全化し、注入した資金の回収の確保を図らなければならないのが我々の立場ですから、その観点から見て、どういう問題があり得るかというと、前々から申し上げているように、債権回収という観点からみての合理性、それから経営責任、社会的な影響、この3点を考えてやってくださいということを申し上げているわけです。 」
 まあこんな具合ですね。金融再生委員会としては、金融機関を保護し、投機熱という病に冒され疲弊した金融機関を健全にする役割があるのですから、金融機関の命の親である借金の回収という面で、その借金証文がただの紙くずにならないようにするため、国民の血税が少しでも使われないようにするために努力したいということなんでしょう。つまり、完全な貸し倒れは金融機関の体力からして避けたい、だからそごうという企業を救わなければならないということなんでしょうね。
 もっと別な表現をすれば、金融機関という吸血鬼が、そごうという企業の血を吸っているとすると簡単になりますかね?金融再生委員会は預金保険機構の血を直接金融機関に血を吸わせるわけにはいかないから、債権放棄という形でそごうに輸血させ、金融機関という吸血鬼が餓えないようにしなければならないという重大な任務を金融再生委員会は預金保険機構に背負わせたということですかね?
 そして、そのとばっちりを受けた預金保険機構の松田昇理事長は、「本来はおかしいと思う。しかし、やらざるを得ない苦渋の選択だった」。といったわけですね。どうも、バブル期ってみんなおかしくなっていたんですかね?
 まあ、こうなると38年間、そごうのトップに君臨した水島広雄前会長の私財も金融機関という吸血鬼の餌食となるのはそう遠くないことのような感じですね。
 なんだか長銀という亡霊は世間で言われるように、経営不振の融資先がつぶれるほど、逆に身ぎれいになる。金融機関というより投資家だ!というのもうなずけますね。しかも、国民の血税がさまざまなところを迂回してはいってきますから、餓えているようで、その実、餓えていないかのように見えるところが厄介ですね。
 まあ、御家人救済の徳政令が、後に、徳政一揆や土一揆に発展したことを考えると、この債権放棄問題は1267年最初の所領回復令としての徳政令にはじまり、お公家さんもはじめるようになり、1297年の永仁の徳政令で完成し、1428年近江に始まり畿内一円に広がった正長の土一揆への動きを見るような気がします。情報通信機関の発達していない鎌倉時代ですから、情報の伝播は遅く、150年くらいかかって沸騰点に達しましたが、近頃は犬みたいに歳を早く重ねるようですから20年くらいで沸騰点に達するのでは?など・・・杞憂ですかね?