徳政令って?なんだ??
 今度は徳政令に興味を持ちました。どうも本を読むとすぐに影響を受けて考え込む癖があるようです。例の永仁の徳政令ですね。こいつの起こった精神的・社会的基盤に興味を持ったというのが真相ですね。
 しかし、この借金棒引きの法理って不思議ですよね。当時の裁判制度やこういった法令の発布の方法とか考えさせられるものです。
 当時は、成文法とは言うものの、幕府側の人間ですら確たる法令の条文を持っていたわけでもなさそうです。裁判の当事者は、それぞれ、自分にとって都合の良い法令の写しであるとか、権利関係を示したものだとかを提示し、それに基づいて裁判が行われたようです。その意味では、今の司法制度と著しく異なっています。
 しかも、徳政令が御家人に対してのものであるにもかかわらず、なぜか凡下輩にも適用された事例もあるようで、法の文言と言うものが中世にはどういった意味を持つのであるのか非常に不思議に思いましたね。
 さて、徳政という言葉は善政を敷くということに通じますが、借金棒引きがなぜ特性なんでしょうか?ちょっと気になりますね。辞書的な解釈を知れば天変地異や疫病の流行などを君主の不徳によって起こるものとし、それを除くために大赦、免税、貧窮者の債務免除などの際だった善政、仁徳ある政治を行うことでしょうね。しかし、為政者の立場の側にいいるご家人救済の借金棒引き旧領地の奪還なんて徳政の名に値しません。それでも徳政なんですからね。ちょっと不思議です。いや、非常に不思議ですね。なんと不条理な?という感じです。
 さて、そうなると当時の風習であるとかそういったものに目を向ける必要があるようですね。しかし、こんな800年ぐらい前のことなんてわかりませんね。封建制度というものにヒントがあるのかな?という感じですね。
 どうも領地の安堵であるとか、譲渡関連のことにポイントがあるような感じですね。本領安堵って、この領地を、おまえの支配下におくことにする。というやつですね。御恩・奉公の関係でくくれば、御恩を与えたものが奉公を怠ったら知行を召し上げることが可能とかそういったやつが、可能性としてありますね。
 もう一つは、ぜんぜん関係のない、古典落語の世界の大晦日に借金取りが押しかけてくる。そこで、押入れに隠れて、歳の暮れるのを待つ、新年になれば借金取りに追われなくなる。ちょっとした回天の思想に近いのを思い浮かべたというわけです。
 この回天の思想の非常に小さな例として、天皇が春を宣言すると春になる。とか、暦の統帥者としての天皇の地位、そして、天皇は一年限りの暦をもって政を為すというやつです。年があたらまると、そこで新規巻きなおしとかそういったやつですね。旧年のことは忘れて、再び旧来に戻し新しく始めるといった思想があるのかとも思ったわけです。そうでなければ、大のおとなが押入れに隠れて新年を待つなんて落語でもちょっと妙ですからね。
 どうも、考え直す期間というのが暗黙の了解事項として存在し、普通は一年の周期であったものが、20年さかのぼって新規巻きなおしというやつで問題になったのでは?と言う感じがしますね。
 まあ不思議な法ですね。しかし、考え直しの期間というのであれば、わからないでもないですね。しかし、代金を踏み倒すのは問題ですね。
  でも、領地の問題でも、おまえの働きはすばらしかった、だからこの土地を与えるとなったとき、この対価を要求しない土地の譲渡に対して、土地をもらった後は御恩を尽くさないのであれば、一度与えたものであってもそれを取り返したくなるのもわからないでもないですね。しかし、この土地を与えられた後の恩義に対する奉公は多少あるでしょう。しかし、領地の召し上げとなったら、これまでに払った奉公によるものはどこへいってしまうのでしょうか?こういったことを見ていくとき、徳政というのが旧来に戻すという意味で納得できる可能性が生まれてくるような気がしますね。
 しかし、今の時代には、こんな政策はとっても徳政とは言いがたいですね。今の政府が金融機関に対して行ったことって、これに近いのでは?これは考えすぎでしょうか?・・・まあ、角が立ちそうですからこれくらいにしておきましょう。