ちょっとキャプテンドレーク ひょんな事からイギリスの歴史に興味を持ちました。歴史を眺めていると、古代においては良くわからない国ですね。フランス的でイギリス的な英仏海峡をはさんで支配権の争奪戦をやっていたり、姻戚関係で大陸とは交渉があるしですからね。そして、ケルト的であったり、生きているときの牛はブル、ケルト的な名称ですね。肉になるとビーフ、フランス的ですね。なんだかそういった二面性を持った国のようです。まあ、興味を持ったのが大航海時代そして東インド会社を中心とした東洋貿易そして、南海会社の泡沫事件まあ、こんな感じですね。そして、それらの航路を開いた、キャプテンドレーク、そしてトラファルガーの英雄ネルソンまあ、そんなところからですね 特にフランシスドレークには興味があります。何しろ、マゼランとは違って、実際に地球を一周した指揮官ですからね。ちょっとドレークを紹介しておきましょう。例の大海賊ですね。サー・フランシス・ドレークSir Francis Drake (1543?―96)イギリスの航海者です。南イングランド、デボン州タビストック教区クラウンデールに生まれたとされています。父親は親の代からの小作農のようですが、それには飽き足らず、船乗りとなり、新教の影響を受け熱心な信者になり、後には説教師のような仕事をしていました。ドレークも早くから船に乗り、初めはジョン・ホーキンズのもとで、アフリカ南米間の奴隷貿易を行います。ホーキングは商人として振舞いますが、ホーキングとともに行った1568年の航海でスペイン艦隊の襲撃にあい、一転私掠船長になります。そして1570年以降西インド諸島でスペインの船や町を攻撃します。当時、太平洋岸にある財宝はパナマ地峡を越えて運ばれていました。マゼランの航海によって、太平洋への入り口であるマゼラン海峡は知られていましたが、この航路は開かれているという状態ではなく、マゼラン以降ドレークの時代に至っても、通過した記録はないようです。 しかし、太平洋岸には巨大な富が、そして、太平洋を越えると香料諸島はあり、十分に採算が取れると考えたドレークは77年から80年にかけて、大西洋からマゼラン海峡を経て太平洋に進出します。途中嵐にあい、マゼラン海峡とは違った海峡、ドレーク海峡を発見します。そして、太平洋岸のスペインの植民市や船を襲って多大の財宝を奪ったのち、現在のサンフランシスコ湾で、エリザベス女王の土地であるとの標柱を残し、ゴールデン・ハインド号で太平洋を横断し、香料群島で大量の香辛料を手に入れインド洋から喜望峰を回って帰国しています。 そして、イギリスにもたらした莫大な富と、世界第二の周航者としてエリザベス一世から促されたフランスからの使節でやってきていたシュール・ド・マルシューモンによってナイトに叙されました。小作農の子供がナイトになるわけですから立身出世ですね。この後、あまりに海を騒がすためにか、陸に上げられプリマス市長や国会議員に選出されたりしましたが1585〜86年西インド諸島に遠征したりし始め。1587年スペインの港カディスを襲撃、1588年にはスペインの無敵艦隊に対抗する司令官の1人として大活躍します。しかし、1595年ホーキンズとともに西インド諸島に遠征しますが、そこの船上で赤痢のため帰らぬ人となります。 まあ、こんなことをした人なんですね。上の絵にドレークの紋章がありますね。神の手に導かれ地球を廻るゴールデンハインド号をデザインしたものです。 こりゃまじめに調べて書くとしますかね。こんなことやっているから、テーマが絞りきれないのでしょう。 |