ネット関連の株の急騰
 不思議な現象ですよね、あるところでは金余りなんでしょうか?まあ、何かの目的で準備した金が、行き場を失って流れたのでしょうかね?不思議です。
 しかしネット関連って誰が儲けているのやら?ちょっと気になります。ちょうど、ネット関連株を取得することがトレンドのような感じになっているのは、バブル期の不動産取得ブームと似ているような気がします。土地にしろネットにしろ利用しなければ価値を生み出すことはありませんからね。こういうとマルクス的な感じですね。
 さてさて気になるのはネット上での生産財とか資本ですね。なんだか古典的な経済学の領域からちょっと外れ、近代的な経済学からも少し違うような?そんな気がします。ちょっと参考書でも見ながら考えてきますか。
 資本って普通は、お金であらわすことができる工場・機械や店舗といった生産・販売の設備や施設なんかを言いますね。でも、ネット上ではあまり意味を持ちそうもありませんね。
 資本って資本財なんて言い方をしましたっけ。資本財って人間の欲望を直接に満たす最終財である消費財の生産過程で労働・土地とともに使われる価値あるものいいますね。この資本財には原材料・仕掛品とかの1度使うとそれっきりのものである流動資本財と、機械・工場などのそのあともずっと使える固定資本財とがあります。
 さて、こうなると、情報通信における資本財って何でしょうね?通信回線・サーバーとかは固定財ですかね?確かに固定財であることは間違いないですが、生産手段としては?疑問です。私もいま回線を利用していますが、月額6000円ですからもしこれでインターネット上に事業展開をしたとしてもたいした額ではありませんね。それに貸しサーバーなんかでも100Mのスペース50メールアドレスで月額1万円ちょっと、月額2万円程度の固定財で一応事業展開が可能で、広告宣伝用のサイトとしては無料のやつを利用してコンテンツの断片を撒き散らして一箇所にお客様が集まるように誘導すれば事業として成り立ちそうですね。まあ、維持するのが大変かもね!
 さて、寄り道しないで考えましょう。資本って?どうも回線やサーバーを所有することではないようですね。コンテンツを所有しないと無意味ということですか?まあサーバーあってのコンテンツですがね。さて、このコンテンツというやつはどうも磨り減らないところが面白いですね。消費財としての価値はどうなんでしょう?サービスを消費するとは?どうも、このインターネット上の情報は自由財とか言うやつのようですね。まあクローズドされたところにあるもの以外はということです。これは希少性をもたないので、このコンテンツの利用などについては経済的配慮を払う必要がないとなり、ちょうど、空気や日光などのようなものなんでしょうね。ネット上でクローズドされたものだけが経済財として成り立つわけですか?これは希少性をもつことで、市場的交換の対象となりというわけですね。さて、この経済財と目されるものは普通は、)消費財と生産財に分けて考えるようですから、このあたりの考察をはじめてみましょう。
 一般に個人の欲望を直接に満足させるものを消費財なんていいますね。情報というのはこれにあたるのでしょう。そして、情報=消費財の生産過程?に使用されるものを生産財というわけでして・・・。この生産財から土地を除いたものが資本財であるとなると・・・??わ!理論が破綻しそう??したがって、記事を書けば記者が生産財ということになるんですか?ちょっとこれでは奴隷制のような感じですね。ネットは私企業などによって構成されますが公共財ですかね?
 さて、資本というのはある一定の尺度によって金銭に換算できないとできませんね。しかし情報の生産は?生産設備というものではないですね。そしてメディアによる評価というのも結構微妙になりそうな?無料であるが非常に重要な内容を含む情報というものも存在できそうです。良貨は悪貨を駆逐する式ならば、良いコンテンツは悪いコンテンツを駆逐しますかね?そうなると、無料のもののほうが駆逐する力は大きいのでは?ネットに接続できるすべての人がコンテンツを発信することが可能となれば・・・。資本の拡張は起こりますかね?
 資本制経済って商品交換ですよね。売り手は商品を失うことで、買い手からお金を得ますし、買い手はお金を失うことで商品を手に入れるという形で経済というか市場は動いています。これだから、何処かに余剰つまり、利潤というやつを生み出すことができるんですね。しかし、私が気にしているのは、実は私がやっていた教師という仕事では商品は知識でしたから、いくら売っても減ることのない商品でした。まあ、売るための時間を売っていたということでしょう。知識という商品はいくら売っても消滅しないという妙な商品ですからね。教師は1度に扱える生徒の数が限られているという希少性によって時間を売ることが可能でした。インターネットができることは?情報の希少性を希薄にすることですかね?そうすると、黙っていて仄めかすだけのものが良いということになるのでしょうか?趣味でやる分には関係ありませんね。仕事でやるとなると厳しいのがこのあたりですね。
 で、直接生産過程での価値形成=増殖運動はどうなってしまうんでしょうか?商品経済の発展は自らの労働力を労働力商品として販売することによってのみ生活手段を取得できる賃金労働者階級を創出したとされていますね。確かに、私は労働力を提供することで対価としてお金をもらいます。そして、それの対立概念としての貨幣を集積する貨幣所有者階級が創出されていますね。まあ社長さんですかね。でもちょっとマルクス流の考えではちょっとね?資本家の概念をインターネットはちょっと破っているのでは?そんな気がします。
 そうすると、ネット関連事業というのは結構微妙なバランスの上に成り立っているのかもしれないわけですね。奴隷制経済では、労働も再生産可能な生産財とみなされいました。したがって資本の範疇として考えることができました。リンカーンは奴隷を解放することでアメリカ南部諸州の資本の一部を一瞬にして消失させてしまったわけですね。まさか、誰かがこの幻影を声高に叫ぶとき、そして多くの人が納得するとき、バブルがはじけるのかもしれませんね。まあ、まだ雰囲気だけが選考しているのが情報関連産業ですからね。